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Painter annual report
1910
1914 江原道 楊口郡 楊口面(今は邑) 井林里にてパク•ヒョンジとユン•ボクジュの三大独子(3代続いて1人っ子)として生まれる。
実家は農業とともに商売もして多少豊かな家であり、家族はキリスト教を信じ、上には姉が3人いた。
1916
(2 歳)
弟のドングンが生まれる。
1918
(4 歳)
3番目の弟のウォングンが生まれる。
1920 TOP
1921
(7 歳)
父が鉱山事業に手を出して大損を出す
。夏の洪水による田畑の農事も失敗となり、家の状況は急速に困窮となる。
その後、父は養蚕指導員として末端の給与生活をしながら、再起するための努力を重ねたが無為に終
わる。 楊口公立普通学校に入学し、図画(美術)の時間に生まれつきの才能を発揮するようになる。
1926
(12 歳)
絵を描く才能に優れて担任先生や校長先生から格別に可愛がられ
る。この頃、フランスの農民画家 ミレーの(晩鐘)を原色図鑑で始めて見て深い感動を受ける
。その後、絵を描くことに一層集中し、“神様、私もこれから大人になったら、ミレーのような画家になり賜え。”と常に祈ったそうだ。
1927
(13 歳)
楊口郡公立普通学校を卒業する
。家が貧しくて中学校進学が出来なくなり、画家になる夢も挫折に直面
する。しかし、画家の道に対する切実な願望と、彼の才能を惜しく思った校長先生の激励により、独学する決心を固める 。
以後、日々、近くの山や野原を歩き回りながら鉛筆スケッチや水彩画の訓練を重ね、農家で仕事をする女性や、野原で若菜を摘む少女を描いたりした。
1930 TOP
1932
(12 歳)
独学する田舎の美術学徒として、以前から目標としていたソウルの[朝鮮美術博覧会(鮮展)]西洋画部へ初春の農家を描いた水彩画<春が来る>を出品し、初入選を果たして大きく勇気付けら れる。
しかし、その次の年1933年から1935年までは落選する。
1935
(21 歳)
乳癌により長い間闘病生活を送っていた母が世を去って悲しみに浸る。以後、家の生活は一層厳しくなり、父は増えた借金を解決できず、僅かな財産を整理して金剛山に入り、兄弟たちもばらばらに離散するようになり、彼は一人で春川へ行って最悪の貧困生活を送りながら絵を描くことに精進し続ける。
1936
(22 歳)
第15回「鮮展」に<働く女>という水彩画を出品し、2回目の入選を果たす。
春川から抱川などへ自立の道を探して流離いながら絵を描いていた時期で、この年の出品地は京畿道になっている。
1937
(23 歳)
第16回「鮮展」に若芽を摘む少女たちをスケッチした水彩画<春>が3回目の入選となる。
この年の出品地はソウルになっている。
1938
(24 歳)
第17回「鮮展」に苦労して購入した油彩で始めて描いた<農家の女人>が入選する。
この年の出品地もソウルになっており、この頃、上京して美術に対する見聞を広めていた時期に見える。
1939
(25 歳)
第18回「鮮展」に油彩で描いた<麗日>が入選する。
第11回 展覧会の時に入選した水彩画で描いた <春が来る>を油画で再度描いたもので、彼の油画の独学過程を伺わせるものである。
秋にかけてソウルから春川へ移した後、父が再婚して弟達と住んでいたクムスンに訪ねたところ、春川で女子学校を卒業した隣の家の17歳娘であった金福順(キム•ボクスン)を愛するようになる。
1940 TOP
1940
(26 歳)
クムスンのメソジスト教会にて金福順と結婚式を挙
げる。両方とも信仰心深いキリスト教信者として、クムスンで新しい家庭を構える 。
5月に平安南道道庁社会課の書記に就職し、平壤へ向かう。
1941
(27 歳)
弟のドングンが持病で死亡する。
9月に 平壤へ新婦を連れてくる。
貸し部屋の薄給の暮らしであったが、幸せな新婚生活を送り、休日や仕事帰りの後は製作に熱中して [朝鮮美術展覧会]の連続入選画家として技量を鍛えた 。
第 20回 「鮮展」に <碾き臼を挽く女>が入選する
。この年に太平洋戦争が勃発する。
1942
(28 歳)
春に長男の 成沼(ソンソ)が生まれる。
1943
(29 歳)
第 22回 [鮮展]にて同じく妻をモデルにして描いた <糸を紡ぐ女>が入選する。
1944
(30 歳)
初娘の仁淑 (インスク)が生まれる。
米軍の爆撃が平壤まで受けるようになり、婦女子や老弱者に対する疎開令が出され、妻と幼い子供を一緒にクムスンの実家へ行かせる。
1945
(31 歳)
平壤に一人だけ残って8.15 解放(終戦)を迎える。
11月に平安南道道庁書記職を辞め、家族がいるクムスンに戻り、クムスン中学校美術教師として赴任して教職生活を始める。
信仰心深いキリスト教信者であり、自由思想を持つ画家であったため、共産体制に監視されて取り調べも受ける。
1947
(33 歳)
次男のソンナム(成男 後で城男と改名)が生まれる。
1948
(34 歳)
長男のソンソが脳炎で死亡。
1949
(35 歳)
3男のソンイン(成仁)が生まれる。
1950 TOP
1950
(36歳)
6.25 戦争(朝鮮戦争)が勃発する。
身辺に危険を感じてクムスンから数十キロ離れた田舎へ家族と一緒に避難す
る。
数回の逮捕の瀬戸際を切り抜けて国連軍と韓国軍の北進により自由を得 る。
しかし、年末の中共軍の参戦と国連軍の後退により、再び脅威を感じて田舎へ避難する途中、人民軍の追撃によって家族と離ればなれとなり、一人で南下を強行。三男ソンインを戦争の混乱の中で失う。
1951
(37歳)
群山まで南に避難して埠頭労働で生活しながら自由な身になって画を描くことを再開する。
1952
(38歳)
共産党支配下になったクムスンに残って隠れ過ごした妻が、幼い兄弟インスック、ソンナムを連れて南下に成功する。
この頃、朴壽根はソウルの昌信洞の義理の弟(キム•ヨンジュ、6.25戦争の前に越南)の家で暮らしながら、妻子の南下の可否を毎日尋ねていたところ、義理の弟の家を訪ねて来た妻と劇的に再会する。
家族と新しい生計を立てるために、 惠化洞にて画家イ•サンウが運営していた画室の紹介により、安い値段でも絵を売り歩く。
1953
(39歳)
イ•サンウの紹介で米軍CID(犯罪捜査隊)で絵を描く仕事に就いて勤務し、また、米軍PX(今の新世界百貨店の建物)にて、もっと収入の良い肖像画を描くようになり、ここで稼いだ35万圜のお金で昌信洞に小さな部屋を整え、小さな板の間を製作空間として創作活動に熱中する。
戦争により中断されて、この年秋に再開された第2回「大韓民国美術展(国展)」西洋画部に、韓国において初めて出品した「家」が特選に選定されて脚光を浴びるようになり、「路上にて」が入選する。
この時から朴壽根の手法は、独特に単純化させた素朴な主題展開や太く鮮明な黒い線の輪郭、白色、灰褐色、黄褐色主調の平面的な色彩に、明暗と遠近感が殆ど排除された特質的な表現を出し始める。
この年に末男の成民(ソンミン)が生まれる。
美術関連の新聞記事を集めてスクラップを始め、1965年世を去るまで続ける。
1954
(40歳)
第3回「国展」にて「風景」「チョルグ(臼)」が入選し、6.25勃発4周年記念「大韓美協展」に会員として「山」「道端にて」を出品する。
米軍PXにて生活のためにしていた肖像画を描く仕事をやめ、自分の作品のみに専念して厳しい生活苦を乗り越えて行く。
[在京美術家作品展]に出品。参加作家はビョン•ヨングン、イ•スオク、チョ•ビョンヒョンの外に多数。
1955
(41歳)
. 第4回「国展」に「午後」が入選する。
第7回「大韓美協展」に「二人の女」(国会文公委員長賞 受賞)「路上」「風景」を出品する。
1956
(42歳)
第5回「国展」に「木」が入選する。
第8回「大韓美協展」に「路上」「風景」を出品する。
半島ホテル(今のロッテホテル)の中に開業した「半島画廊」を通じ、主に外国人美術愛好家の間に最も韓国的な素材と情感を持ち、特異な造形手法の画家として評価され、作品が少なからず売れるようになる。この年に次女の 仁愛 (インエ)が生まれる。(1967年病気で死亡)
1957
(43歳)
貧しい生活の中のでも第6回の「国展」のために、100号の大きさの大作「三人の女」を苦心して作成し出品したが、落選となって衝撃と悲嘆に陥る 。
以降、この落選等の苦悩から抜け出すために飲酒が頻繁になる。
しかし、この頃の作品世界はより鮮明になった表現的特質や、貧しさと庶民生活に愛の視線を集めるなど、主題の一貫性や独特な造形性により、成熟した芸術的境地を反映している。
1958
(44歳)
半島画廊の創立と運営に中心的な役割をした画商兼コレクターであったアメリカ女性 シリア、チンマーマン(Celia Zimmerman)が所蔵していた「路傍の行商」が、サンフランシスコにおいて開かれたユネスコ米国委員会企画の「東西美術展」に出品される。
この時の他の韓国人の出品作はキム•ヨンギの<雪日>とソン•ゼヒュの<漁村>があった。
ニューヨークのワールドハウスギャラリーにおいて開催された「韓国現代絵画展」に「母子」「路上」「風景」を出品する。
去年(1957年)の落選で「国展」出品を断念する。
1959
(45歳)
国展運営部署から推薦作家に決定された通知を受けて、この年の第8回国展に「閑日」「坐女」を出品する。
朝鮮日報社主催の第3回現代作家招待美展に「春」「休む女」「老人と遊童」を出品する。
1960 TOP
1960
(46歳)
4.19学生義挙によって自由党政権が退き、民主党政権が執権する。
第9回「国展」に推薦作家として <路上の少女たち>を出品する。
1961
(47歳)
5.16軍事革命が起きる。
第10回「国展」に推薦作家として「老人」を出品する。
日本東京にて開催された「国際自由美術展」に「木」を出品する。
1962
(48歳)
第11回「国展」の西洋画部の審査委員として委嘱され、「牛と遊童」(虎巖美術館所蔵)を出品する。
烏山にある在韓米空軍司令部(USAFK)図書館にて「朴壽根特別招待展」を開く。
マニラ「韓国現代美術展」に招待され出品する。
キム•フンスさんの画集出版(ユネスコ出版部)について、"[デラックス]画集、完全な芸術の再現 - キム•フンスさんの諸力作"という '新刊紹介' の文を新聞に寄稿する。
この頃、彼の芸術的位置と評価は日増しに高くなり、花崗岩質の技法と表面的な内面性も絶頂に達したが、生活は彼の作品の中の人物たちのように相変わらず貧しかった。
1963
(49歳)
第12回「国展」に推薦作家として「楽」を出品する。
過度の飲酒を繰り返したあげく、心臓と肝臓が悪化し、それが原因で発病した左側の目の白内障手術の費用がなくて、悪化された後にある眼科病院で手術を受ける。
しかし、手術結果が思わしくなく、一層苦痛に苦しんでいたところ、他の病院で再手術を受ける。
しかし、その過程で視神経が切れてしまい、片目の視力を失う。
以降、メガネをかけるようになり、右目だけで画を描くようになる。
9月に自宅が仮執行撤去訴訟に提議されて裁判を通じて地上権を確保したが、昌信洞から田農洞77番地23統5班へ引っ越す。
ミラー夫人が翌年の1964年に、ロスアンジェルスでの個人展開催を提案するが、米国内にいるコレクター達と連絡を取ったが開催までには至らなかった。
1964
(50歳)
持病であった肝臓が日増しに悪化されて酷い苦痛が伴ったが、飲酒と製作生活を強行する。
秋の第13回「国展」に推薦作家として「祖父と孫」>(国立現代美術館所蔵)を出品する。
1965
(51歳)
肝硬変、凝血症が酷く悪化し、4月初めに清凉里の衛生病院に入院する。
しかし、回復が困難となり5月5日退院。
5月6日深夜1時、「天国が近いと思っていたが、遠い、遠い」と言う最後の言葉を残して生涯を閉じる。
京畿道 抱川郡 蘇屹面 ドンシン教会墓地に安眠。
秋の第14回「国展」に未亡人が最後の遺作「遊童」を展示。
1970 TOP
1970 小公洞中央公報館における遺作展に79点の作品が展示される。
現代画廊にで遺作小品展を開く。水彩画や鉛筆デッサン200余点と、油絵約20点が出品される。
1974

ベクロク画廊にて遺作版画展を開催する。。

1975 ムンホン画廊にて朴壽根10 周忌 記念展を開き、カタログを刊行する。。
1978 文化画廊にて 朴 壽根遺作展を開き、画集を刊行する。
京畿道 抱川郡 蘇屹面 ドンシン教会墓地に墓画碑を立てる。
墓画碑には朴壽根が好んで描いた子供を背負った女性の素朴な姿が約 15倍に拡大、陰刻されている。
1979 中谷洞長老教会の伝導師として献身していた未亡人の金福順さんも脳卒中で亡くなる。享年 57歳
1980 TOP
1980 政府から故朴壽根画伯に大韓民国銀冠文化勲章を贈る。
1985 ウゾン美術館の開館記念西洋画10人展に招待出品する。
現代画廊にて朴壽根 20周忌を開き、画集をヨルファダンから刊行する。 。
1990 TOP
1990 江原道 楊口郡 楊口面 飛鳳公園に銅像を建てる。横 2m、縦 1.9m、厚さ 1mの花崗岩にして、春川教育大学のイ•ギルゾン教授が製作する。
1995 ギャラリー現代から朴 壽根30周忌記念展を開く。
1995
~1998
[韓国近代美術 : 油画-近代を見る目]、国立現代美術館
1998 江原の魂、宣揚事業に選定
1998
~1999
[再見する現代美術]、国立現代美術館
1999 [韓国美術50年:1950-1999]、ギャラリー現代 7月 16日-10月7日、[夭折と宿命の作家展]、ガナアートセンター
2000 TOP
2001 . [夭折と宿命の作家展]、ガナアートセンター
2002 文化観光部 '5月の文化人物'に選定/4月17日-5月19日、[韓国の画家朴壽根]、ギャラリー現代/5月29日、国立現代美術館と韓国近代美術史学会主催の記念学術行事'朴壽根絵画に現れた社会性と女性性'開催/楊口郡立 朴壽根美術館 開館
2003 . 楊口郡立 朴壽根美術館 開館記念展[朴壽根の人生と芸術] 2003年 3. 18 ~ 6. 29 企画展 <朴壽根を称える作家たち> 開催/8. 18 ~ 9. 17 企画展 <江原の自然、そして人生> 開催/会館 1周年記念 <朴壽根のイメージ - 朴壽根の挿画とスケッチ> 開催
2004 朴壽根の墓を改葬 /4. 24 ~ 8. 31 ギャラリー現代 パク•ミョンジャ寄贈記念 <朴壽根とその時代の作家たち> 開催 /10. 25 ~ 2005. 3. 31 <故郷に帰ってきた朴壽根の作品> 開催
2005 朴壽根40周忌記念 <再び、春が来る> 開催 /11. 5 ~ 2006. 2. 26 <時代の肖像、日常の響き> 開催
2006 <朴壽根、故郷の作家たちと出会う> 開催
2007 <彫刻で出会う朴壽根の趣> 開催
出先 '韓国美術研究所
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